愛しているとか、いないとか。



フィジカルなセックスを求めるとき、
愛しているとかいないとか、そんなことより!という昂りとともに
身体がその快感を求めてしまうとき。
それは本当に肉体の快感だけで済まされるものでしょうか。

肉体が滅びても魂は残る、などといわれるけれど。
それはその肉体に宿った魂こそが命、といっているようなもの。
魂をもっとカジュアルに「想い」というものに置き換えたとき、
セックスとはそういうものなのではないか、と思うのです。


目隠しをして、誰か知らない人に肌を撫でられることと、
これはあの人の指・・・と思って触られる感覚は、決して同じではないはず。
肉体の感じる粘膜が引き起こす快感と、
その快感を引き出してくれる相手との関係性。
快感と「想い」とは深くリンクしているのだろうと。


セフレと呼ばれる関係は「セックスだけのおつきあい」なんて解釈されますが、
本当にそうなのでしょうか。
推測するに、粘膜だけの快感だったら「フレンド」と呼べるほど、
度重なるお付き合いは成立しないのではなかろうか。
何度か会ううちに、話してみると気が合うとか、案外いい人だなとか、
何かしら相手に対して好意らしき、熱のある想いが動くはず。


何が言いたいかというと、
一度や二度の偶発的なセックスや、金銭が絡むものは別として。
セックスにフィジカルだけの快感は、あり得ないのではないか・・・ということ。
そこに相手とリンクする情報が多いほど、気持ちが動き、
時間を重ねるごとに「情愛」に似た感情が芽生えずにはいられない。
嫌でも好きになるだろうと思うのです。
その情愛というものを意識してしまうと関係性がややこしくなる場合、
敢えて意識しない大義名分として
「セフレ」とか「フィジカル」という言葉を使うのではないか。
そこに動く感情の揺れにフタをしているだけなのでは、と。

感じる強さの差こそあれ、
微塵も情愛を感じないセックスはあり得ない、
なんて極論のようだけど、案外そうなのかなと思います。

でもこれは、
こう感じるのは私が女だからなのでしょうか。


好きな人と抱き合いたくても抱き合うことができないとき。
かつて得た快感の記憶を辿ってその人を想うとき、
身体はしっかりと反応します。
そこに肉体的な刺激があったかのように。


人と深淵に関わることに肉体的なセックスは必要でしょうか。
肉体の交わりなど、じつは大したことではなくて、
相手との想いをお互いに絡め合うことに、性の本質があるような気がします。
そこらへん、まだまだ勉強不足で文章にすることができないのですが。

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