おばさん、という蔑み。


いい歳をして、正直、もう恋愛なんて面倒。
・・・独身で同い年の友人がいいました。
「いい歳」って何歳からいわれることでしょうか。


年齢なんて関係ない。
などと言葉ではよく耳ににするけれど、
実際、それをカラダを持って堂々と示している人は少ない気がします。

自分のことを「まぁ、おばさんだから仕方ないわ」と自嘲気味に言う友人のなんと多いことか。


そう、自嘲。
自分をあざける言葉を普通に口にすること、
同年代の人を十把一絡げに同じ土壌に乗せてしまう「自嘲句」のような言葉に
とても違和感を感じます。

それはつまり「謙遜」や「謙虚さ」ということの表明なのでしょうけど、
他人から指摘される前に、先に自ら自分を落としておくことで、
自己防衛策として、落とされて傷つくことを避けているのだろうと。
けれど自己卑下を甘んじて先に受け容れることが
「大人として持つべき常識」のように語られることにとても居心地の悪さがあります。


そんな自信ないもの、そうでしょう?
だってもう若いとは言えないし、どうせ無理よ。
・・・
その種類の言葉がためらいなく交わされるのは、
年齢によって判断される「常識的な共通イメージ」が強すぎるのだろうなと思ったり。
それはメディアが作りあげているとも言えるけれど。
「いいトシをして云々」とか「いい大人が云々」などという言葉も同じ。
この年齢なら、「●●していて当たり前」「●●であるのが常識」という
年齢に応じた「偏見」という眼鏡をかけることを強いられているような。

多くがその眼鏡を普通に持ち合わせているのだから、
その眼鏡を外して語ることは同調意識から外れてしまう。
あえて主張するまでもなく、年相応意識は合わせるべき。
・・・分かるけれど、多くがマイナス意識として語られることに空しさを感じるのです。


年齢を重ねることは、恥ずかしいことでしょうか。
美しさとは肌のハリツヤだけの話しでしょうか。
そんなわけないじゃない!と真っ先に言うであろう友人でさえ「若くはない」と溜息をつく。

ものごとや人の在りようには、そうなるべくしてなった理由があると思います。
ここまで生きてきて、小さな選択を繰り返してきた結果の自分がここに在る。
その結果がこれだよなぁ・・と山盛りにある溜息や情けなさ、
常識眼鏡でみたら「いい歳をして」着地していない自分を放り投げたくなること。
いろんな葛藤はあるけれど、そんな自分を可愛がりたいと思うのです。
何を卑下することがあるんだろうか。
強がりだけど、そう思いたい。


好きな友人が、どうせもう若くないと自分を貶める気持ちを語るとき、
まぁそうだよね。と共感を求めているのは分かるけれど、
「常識サングラス」なんて外しちゃおうよ、そんなの要らないよ!
と思うのは、

優しくないのでしょうか。。

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