人は中身よ、という迷信。



人間見た目じゃない、中身が大切。
・・・ということをときどき耳にします。

見かけばっかり気にしているような人はダメ、とか。
その手の言葉を聞くたびに、何かこう、
しっくりこない肌触りの悪さを感じます。


外見を、
生きることの優先順位で上位に置くやつなどロクなもんじゃない、ということ。
コントラストをつけて極論で考えると、
見た目の綺麗な人は、大抵、心が汚れている。という意味になりますよね、つまり。

太っている痩せている、可愛い可愛くない、そして身に着けているもの。
その外見をスキャンすることで、人となりを読み取ること。
その読み取りを間違えないために、
外見に惑わされるなということだとは思うのですが、
そのときに容姿や身に着けたものという少ないデータだけで
読み取ろうとするからエラーが起きるのだろうと。


人の人に対する評価というのは、その人の環境因子で大きく変わってくると思います。
同じ服装をしていても、
「着飾ってチャラチャラ軽薄」と感じる人と、
「楽しげなキャラに合ってる」と感じる人と。
ボサボサ頭を「だらしない」と感じる人と、「素朴」と感じる人と。
その人を信用できるかできないかを判断する時、
それぞれに感じた外見の印象で、評価の基準ラインが違っているはず。
それはすでに、外見を含めた内面をみているということですよね。

軽薄そうに見えたけど、実は誠実な人だった。
というのは、自分の経験値の中で判断する印象が軽薄だったということで、
楽しげな雰囲気の人だと思ってたけどやっぱりいい人ね、
という評価の人もいると思うのです。


そもそも外見と人格とは、乖離できるものでしょうか。

つい先日亡くなった父は、
「いくら飾っても人格が外見にでる。ちゃらんぽらんな奴は外見もちゃらんぽらんなのさ」
と、よく話していました。


人に対する評価の焦点が、見た目側からでも人格側からでもなく、
中身が外見となり、外見が中身となること。
卵が先か鶏が先か理論に近いものではないのかな、
と、そんな風に思います。


同じように見えて漆とプラスチックは違います。
プラスチックと知っていて、漆でなくても問題ないと選ぶならOK。
漆だと思っていたのに、実は後からプラスチックと知るのは、
知識不足が引き起こすエラー。

雑なたとえかもしれませんが、人も同じではないかなと思います。

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