肉体の交わりを超えるもの。



人と深淵に関わることにセックスは必要でしょうか。
肉体の交わりなど、じつは大したことではなくて、
相手との想いをお互いに絡めあうことに、性の本質があるような気がします。

抱き合い、体温を感じ合い、呼吸を感じ、確かな命を感じること。
それはどれだけ多くの言葉を交わそうとも、確認できることではありません。
でも、
想いとは肉体を超えて感じ合えるものと信じたい、という理想がどこかにあるのです。

愛したいと想う人がいて、その人の肉体をも愛したいという欲望が生まれる。
それは、その人の持つ肉体を所有してしまいたいというところまで膨らむことさえある。
でも、その愛したいという想いは、
肉体がなくても持続することができる。


たとえば親子の情愛。私は最近、父を亡くしました。
父のことが大好きで、これはもうエディプスコンプレックスに属するレベルで深い情愛を感じていました。
父の肉体が消えたことの喪失感は、例えようもなく、
何をしてもかけがえのないものであったことは確かです。
でも、明らかに父の肉体の消えた今、
どこにも父は居ないけれども父の存在は在るし、感じることができる。
霊的な意味合いではなく、情愛のカタチとして。
それはもちろん、セックスの絡む関係と比べるのは無理があるかもしれないけれど、
愛するというフィールドにおいては、
肉体の意味することは同じではないかと、思うのです。


セックスが意味を持たない、ということではなく、
実際に肉体を絡めなくても、セックスという意味は成立するのではないかと。
生殖行為としてのセックスは、もちろん肉体の交わりなくしては成立しません。
けれども、幸福感に包まれ精神的なぬくもりに満たされるという意味合いでのセックス。
スローセックスと呼ばれるものの、もう少し手前あたりに在るものを探りたい。

たとえば、会話。
お互いの心の中を深く見せ合い、セックスについて手をつないだまま語り合うとき、
身体は反応し、充分に濡れるのです。
かつてそんな風に、肉体的な交わりはないけれども、会話で充分にセックスをしているよね、
と感じられる人と出会ったことがありました。
もちろんその会話だけで、肉体的なオルガスムを得ることはできないけれど、
精神的な充足感は、セックスよりも豊かに感じることさえありました。
肉体的快楽の伴わない、
精神的なオルガスムというものは、確かに存在すると思います。

その記憶を辿るとき、
人との関わりに肉体はどれだけ重要なのか。

ふと、そんなことを考えたりします。

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